アラフォー男子の育児休暇日報 改め アラフォー男子の育児日報

40歳を過ぎて男子が産まれ、育児休暇を取得してからの子どもとの日々を綴るブログ。

出産日

出産日の1日前に入院することになっていた。

4月からの0歳児入園の資格になる日は超えていたので、

願うは母子ともに無事でいること。

現代の医学では大丈夫だろうし心配はないが、

子どもの心臓のことが少し心配だった。

結果、問題はなかった。

 

ただ入院する前日にどうやら兆候が出てきて、

入院の日は何も予定を入れなかったが、

前日は普通に仕事を入れていて、

かつ外での打ち合わせが2つあった。

 

午前中から陣痛らしきものが来て、

これが最後と思ったのかお風呂に入り、

午後に念のためタクシーで病院に行くことになった。

何もなければまたタクシーで家に帰ればいい。

実際、家に帰されるらしい。

入院用に持ち物はかばん一つにまとめたし、

あとから私が持っていくものもまとめてある。

準備はできているのでいつでもいい。

 

打ち合わせが終わったあとにお昼を食べて、

皮膚科に行った。

なぜか前日からジンマシンが出たので

診てもらうことにした。

妻はジンマシンは出ていないので、

食べ物ではないのかもしれないが、

食べ物しか考えられない。

午後からの診察は15時から。

30分前に行って受付をして、

待っていたら妻からそのまま入院になったとのこと。

これは産まれる。

予定日よりも2日早いが順調に育っているし、

あまりに大きくなると産まれるのも大変だ。

皮膚科で薬をもらって子どもに影響ないかを聞いて、

家に帰った。

 

スーツのまま言われていた荷物を二つ持って、

タクシーに乗った。

5分で着く。

義理のお姉さんが仕事が休みの日で、

一緒に付き添ってもらったので、

入れ替わりで私が一緒にいることに。

 

分娩室に入って持参した波の音のCDをかけていた。

腕には陣痛促進剤のような点滴をしている。

時間の経過とともに量を増やしている。

今まで経験したことがない緊張感だ。

よく大丈夫かと妻のことを感心した。

私には無理だ。

 

隣の分娩室にも看護師さんは行き来でき、

音も完全に聞こえていた。

病院に来てからずっと隣の妊婦さんは

力んでいる声と絶叫のようなものが聞こえて、

我々よりも少しあとに産まれたようだ。

長い時間で大変だったようで、

お子さんは普通よりも大きかったのが

そうさせたようだ。

出産は命がけなのだ、とこの時に思った。

我々は大丈夫だろうか、とも。

 

19時くらいに妻から、

今晩中に産まれると思う。

長い夜になるかもしれないので

一回帰ってお風呂に入って戻ってきては、

と提案があった。

血とかがダメなので立会いはしない。

が、近くにいようと思っていたので、

一回帰るのは良いと思う。

 

病院からタクシーに乗ろうと思ったが、

こういう時にタクシー乗り場に1台もいなかった。

少し大きな通りに出てタクシーを捕まえたが、

歩いて帰ろうともしたので、

洗濯に失敗したことをひどく後悔した。

 

家に帰り、お風呂に入ってご飯を食べていたら、

急激に進んだ、とLINEが来た。

この時、20時半ごろ。

まだご飯を食べきっていない。

いやお風呂にも入っていなかった。

もたもたしていた。

 

急いでお風呂に入り、

夕飯を食べて準備して21時半に家を出た。

5分後に病院に着いたら、

ちょうど先生がいてドアを開けてくれた。

少し話をして、あと1時間で産まれる、とのこと。

本当に1時間弱で産まれたのですごい。

先生は義理のお姉さんの子を二人出産させた人で、

兵庫の進学校からおそらく国内最難関の国立に入った人で、

時期教授候補とのこと。

頭の回転が早い人の特徴を持っていた。

どうやら本当のようで、下に付いている人に

海外の論文を朝まで3本読んでおくように、

と指導するらしい。

そういうのはこの先生しかできないだろう。

先生と患者、くらいの間柄がちょうどいい。 

 

1時間後、妻からLINEが来て、

赤ちゃんと一緒の写真が送られてきた。

となると母子ともに大丈夫なのだろう。

安心した。

同時に母親と姉もタクシーで来て、着いた。

間に合った。

分娩室に一緒に入って労いの言葉を。

こればかりは妻にしかできない。

私は何もしていないし。

 

お疲れさまでした。

ありがとうございます、

と妻に伝えと思う。

 

実際に産まれたのは22時20分くらいで、

LINEが来たのが22時40分くらい。

分娩室に入れたのが22時50分くらいだったので、

産まれて20分くらいは検査していたのだろう。

心臓のこともあるし。

分娩室で一緒に写真を撮って、

この日は帰った。

次の日は普通に仕事だ。

ただ、どうやって家に帰ったのか覚えていない。

その前に母と姉をタクシー乗り場まで見送ったのは覚えている。

母親がマフラーを落として来た道を探したのも覚えている。

(分かりやすいところに落ちていた)

 

多くの出来事が起こったので

この日の夕方からのこと全てがあやふやだ。

うれし涙とかも妻も含めてなかった気がする。

うれしくない、ということではなく、

それどころではない、というのと安心したのが大きい。

 

ただ父親になった、という思いは覚えている。

家に帰ってもそれだけは思っていた。

ほとんど何もしていないけど。

あとこれからどうしようという不安もあった。

二人で子どもを育てるしかないけど。

 

子を育てるというよりもよく言われるように、

子どもに育てられるのだろう。

父親0日目に家のワインセラーから

この日のために取っておいたシャンパンを飲みながら

そんなことも思っていたのを覚えている。